明石家さんまが凄い!椎名桔平が売れた理由と関係が?
2018/07/26

読みたい場所へジャンプ
椎名桔平さんが売れたきっかけ!
芸能界でもサッカー上手と知られる椎名桔平さんです。

現在の役者として地位を確立したのサッカーが関係しています。
椎名桔平さんは三重県出身で小学3年生からサッカーを始めました。
県立上野高校時代には国体に出場したほどなんです。
上野高校は東大や京大にも進学にも合格者がでる進学校で椎名桔平さんも青山学院に進学します。
歌手の平井堅さんも同じ高校出身なんです。
俳優を目指したきっかけ
青山学院でもサッカーを始め1年生からレギュラーです。
大学のレベルで1年生からレギュラーはすごいですね!
2年生の時にスポーツメーカーのCM出演がアマチュア規定に引っかかり謹慎処分をうけて退部します。
知人に寺田農さんを紹介され付き人として俳優を目指しすことになります。
ところが脇役ばかりでトラック運転手などのアルバイトをしながら役者を続けていました。
トラック運転手のアルバイトは人に会いたくなかったからだそうです。
接客業など人に合わせるアルバイトは役者にとってよくないという当時の椎名桔平さんの考えです。
たいした学歴のない私からすれば青山学院をでて役者とか信じられないです。
芸能界には高学歴の方多いですよね!
青山学院大学出身の有名人!
桑田佳祐さん(中退)は有名ですよね!
今話題にニュース加藤シゲアキさん、俳優の高橋克典さん(中退)
賀来賢人さん(中退)鈴木浩介さん、
あの渡哲也さんもそうです。
ホラン千秋さんに田中みなみさんに滝川クリステルさん
槇原敬之さん(中退)もそうなんです。
落語家の三遊亭円楽さんも青学出身なんですよ!
政界では蓮舫さんもです。
すごい大学ですね!
偏差値が60くらいなので結構な難関私立大学です。
スポンサードリンク
明石家さんまとの出会い!
サッカーは人気スポーツじゃなかった!
Jリーグが発足して今やサッカー人気は不動になっています。
1980年代前半プロがなかったサッカーは野球と比べると人気がありませんでした。
それを憂いに思った明石家さんまさんはなんとかサッカー場にお客さんに来て欲しいと思ってました。
そこで
ビートたけしさん、漫画家の望月三起也さんらと共に、
「芸能人が前座試合をやれば、サッカーの競技場にお客さんがやってくるのでは?」
と思ったんです。
ボランティアで芸能人サッカーチーム『ザ・ミイラ』を発足します。
日本リーグなど大きな試合に繰り出しては、ジャッキーチェン(香港芸能人蹴球団)などとエキシビジョンマッチを展開し、観客を大いに沸かせていたんです。
『ザ・ミイラ』は、Jリーグ誕生・日本のW杯初出場決定以降も活動を続けています。
ちなみにミイラの名前は「ミイラとりがミイラになる」という意味で
芸能人につられてサッカーをみにきた人がサッカーファンになって欲しい願いを込めたそうです。
寺田農さんが参加したので椎名桔平さんもそこで明石家さんまさんと出会ったんです。
以下がミイラに参加していたメンバーです。
こち亀の秋本治さんやゆずの北川悠仁さん向井理さんも参加してたんですね!
すごいメンバーです。
これだけのメンバーと出会ったのが椎名桔平さんの人生を変えるきっかけを作ったことは間違いありません。
当然ノーギャラでしょうね!
「ザ・ミイラ」の凄い参加メンバー
※ホームページ引用
リトバルスキー ワッキー
|
まとめ
残念ながら日本初の芸能人サッカーチームとして1980年代に発足した
「ザ・ミイラ」は2016年12月5日に横浜市内のスポーツクラブで正式に解散しました。
明石家さんまさんは椎名桔平さんの人生だけでなく日本のサッカーのにも大きく貢献しました。
あらためてさんまさんの凄さを知りました。
椎名桔平 若者に告ぐ言葉
「今の情報化社会では早く結果が出ることを期待されてしまいますが、10年かかって一人前と言われる職人みたいな世界もありますし、10年かかっても夢が叶わなかったという人のほうが多いと思います。
だけど、3年やって諦めて、また3年次のことをするよりも、上手くいかなかったとしても1つのことを諦めずに10年しっかりやり遂げたほうが自信に繋がると思います」
苦労人の椎名桔平さんだけに言葉に重みがあります。
10年は長いですよね!
スポンサードリンク